比叡山メッセージ2022

 2022年8月4日、比叡山宗教サミット35周年を記念して比叡山上に集ったわれわれは、平和な世界の実現と人々の安らかな暮らしを願って真摯な祈りを捧げると共に、世界の人々に心からのメッセージを贈りたいと思う。

 

 1986年にイタリア・アッシジで開かれた「世界平和祈願の日」の精神は、翌1987年われわれを比叡山宗教サミット「世界宗教者平和の祈りの集い」の開催に導いた。そして世界平和への願いは、如何なる宗教にとっても根本的であるとの認識に立ち、「正義と慈悲」を通じて平和の希求を訴え、同時に「宗教者は常に弱者の側に立つことを心がけねばならない」ことを再確認した。

 

 それから35年を経た今日、多くの人々が願ってきたにもかかわらずわれわれを取り巻く状況は、実に厳しい問題に直面しているといわざるを得ない。それは深刻な地球温暖化である。この問題はすでに避けて通れないどころか、このまま放置しておけば人類はもとより、生物の生存そのものを許さない状態になることが科学的にも証明され、これからの10年の対策が地球に決定的な影響を及ぼすことが明らかにされたのである。

 

 その結果、昨年10月英国のグラスゴーで開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)で、難航の末ようやく世界の平均気温の上昇を産業革命以前より1.5度以内に抑えることが合意された。この数値目標の達成には相当な困難が予想されるが、現実に近年世界各地で起こる豪雨災害や熱波による森林火災、さらに島嶼(とうしょ)地域の大規模な浸水など深刻な被害が伝えられ、すでに看過は許されない状態となっている。

 

 地球環境の問題は、先進国はもちろん発展途上国も含め国際協力がなければその改善は期待できない。すなわち諸国家の意思の中にあるという意味で、われわれは各国や国際機関の指導者に一般の人々の切実な声を伝え、より一層強くリーダーシップを発揮するよう働きかけねばならない。一方、環境問題には万人に共通の責任があることを知らなければならない。それは日々の生活の中で無数の小さな行為の積み重ねによって、問題が現実のものとなっていくことである。未だに「私一人ぐらい何をしても、たいした影響を及ぼさない」と考える人が少なくない。しかしそれらの行為の無数の集積が、結果的に大きな影響を与えるのである。すなわち個人は単なる個人に留まらない存在であることの自覚が要請されてくるのである。人間は一人では生きられないことは自明の理ではあるが、生きていること自体が多くの連関の中に支えられていることでもある。そう考えるとき、生きていくことには「自他共に」のみならず「それを取り巻く環境と共に」円滑に生きていくという倫理的な使命があることに気がつく。それは取りも直さず神仏の叡智に生きることでもある。そこでわれわれ宗教者は改めて多くの人々と共に、「よりよく生きるとは何か」について考え、従来の経済成長型のライフスタイルから、環境重視型(共生型)への生き方のほうが、より人間らしい生き方であるという意識の変革に努めて行くべきであろう。その意味で宗教者の果たすべき役割は大きく、その責務は大変重いものがあると自覚するものである。

 

 この環境重視型のライフスタイルは、今もなお猛威を振るうコロナ禍においても、きわめて有効な手段を発揮する基礎となり得ている。さらなる情報公開や国際支援が求められるところである。

 

 最後に、今回の「世界宗教者平和の祈りの集い」の半年前より始まったロシアのウクライナ侵攻に対して、断固たる抗議をする。東西の冷戦という核の脅威の極限を味わった人類は、その悲惨な結末を回避して共存の道を歩む方向に舵を切ったはずであった。それにもかかわらず再び核の使用をちらつかせてまで政治的野心を遂げようとする大国が現われたことに国際社会は驚愕させられた。世界の紛争を調停する国連常任理事国であるロシアによる今回の国際法を無視した暴挙は、全く容認することはできない。

 

 ロシアに対してウクライナからの即時撤退を強く求めるものである。何としても軍事行動を即座に中止して対話への道筋を開くべく、国連常任理事国はじめ関係国は今こそ知恵を凝らすべきであることを、声を大にして訴える。さらに戦争は人間による最大の環境破壊の行動であることを心に刻むべきであろう。

 

2022年8月4日

比叡山宗教サミット35周年記念

「世界宗教者平和の祈りの集い」参加者一同