武装した大黒さん

 右手に小槌、左手に袋を持って肩にかけ、米俵をふんだ福徳円満な福の神さん-これが大黒さんのトレード・マークだ。ところが左手に宝剣、右手に袋を持ち、鎧をつけて「半跏倚坐」といわれる待機の姿勢をした、ものものしい大黒さん木像がある。京都の円山公園音楽堂裏にある双林寺の大黒さんだ。軍隊をもたないはずなのに「自衛隊」という立派な軍隊をもつこの国に、武装した大黒さんがいても不思議はない、なんて皮肉るのはやめましょう。実は大黒さんは本来が武装していたもの。これが長い民間信仰の間に、いつのまにか”武装解除”されたものなのだ。
 
 大黒さんは本名を摩訶迦羅(マハカラ)といい、密教によると大日如来が茶吉尼という悪魔を征伐するために作った戦闘神だった。だから大黒さんはドクロを首にかけ、すさまじい表情の神様として、古来インドで信仰されて来た。これが時代を経るにつれ、その武装がいろいろ姿を変え始めた。三世最勝心明王経というお経では、一頭二臂(頭が一つ、手が二つ)、慧琳音義では一頭八臂、胎蔵界曼荼羅では、三面三目六臂(頭が三つ、目が三つ、手が六つ)という具合だった。ところが、これがさらに日本にはいって変わったらしく、武装ぶりが少々あやしくなって来た。比叡山には顔が三つの三面大黒があるが、曼荼羅の三面大黒とは大違い。顔は正面が大黒、右面が毘沙門天、左面が弁才天で、六本の手には、袋、槌、宝珠、宝剣などいろいろなものを持ち、おまけに米俵をふんまえている。つまり現在の大黒さんと三面六臂大黒との中間をいくものだ。

 大黒さんが剣を小槌に持ちかえて七福神の仲間にはいり、本格的な平和主義に徹するのは、世も太平な元禄時代だ。元禄元年(1688年)貝原好古という人が編纂した「和爾稚」という本には、七福神の中に大黒さんの名は見当たらないが、元禄十一年(1698年)摩訶阿頼摩という人が書いた「日本七福神伝」には、大黒さんが顔を出している。つまり民間信仰の対象として選ばれた七福神に大黒さんも放り込まれ、いつのまにか恵比寿さんの親類のようなめでたい神様となってしまった。


 こうしたおめでたい子孫をへいげいするように、双林寺の大黒さんは大国主命スタイルの上に武装したまま、ドッカと座り続けている。この大黒さんは像姿から藤原末期のものと思われるが、花をもとめて円山公園を訪れる人々は、大黒さんはおろか、堂一つ、庫裏一つの小さな寺の存在にも目もくれようとしない。音楽堂からわずかの立木でへだてられているこの寺は、平安時代に最澄によって建てられ、のち秀吉がここで花見をしたこともあるが、今は花見客のさんざめきだけが、立木を通して聞こえてくる。
(昭和34年4月15日大阪日日新聞掲載文)