眞葛が原

「真葛ケ原」とは、現在の円山公園を中心として、北は、知恩院三門前より南は雙林寺におよぶ山麓一帯の旧称です。むかしは、真葛やすすき、茅、萩などが一面に広がる原野でした。鎌倉初期、天台座主慈円僧正がその景観を望んで、

 

わが恋は松を時雨の染めかねて真葛ケ原に風さわぐなり

 

と詠いました。それから、一躍和歌の名所となり多くの歌に詠われることになります。

 江戸時代はもっぱら六阿弥など酒食をもてなす水茶屋が設けられ、席貸がはじまりました。春秋の花見時には文人酔客が多数訪れ、酒を飲んで花の美を賞するところとなりました。

 また、六阿弥では、それぞれの庭園美を競い、書画の展観、庭での蹴鞠とさまざまな催し物が開催され賑わいました。江戸時代の末には、桜の木が植えられ夜にはかがり火が焚かれ、夜桜見物の花見客でにぎわいました。円山公園中央にある枝垂桜が有名となり、京都の桜の象徴にもいわれるようになったのはこの頃からです。


◇円山公園◇

  明治6年1月15日、太政官の布達により、公園地に指定されました。明治25年度からは第1期拡張および整備事業が開始されました。池を掘り、樹木を植栽し、公園の原形ができあがりました。

 そして、第2期拡張工事を経て大正2年、東部一帯の改良工事に着手します。この工事は、平安神宮神苑などを作り出した造園家の小川治兵衛の手によって行われ、最終的に中央に池を配した回遊式の日本庭園となりました。

 その後、大正3年3月に現在の円山公園が完成しました。昭和3年、近代的公園施設として安田耕之助などの寄付や雙林寺の上地により音楽堂が建設されましたが、真葛ケ原の環境や雰囲気、東山36峰にも数えられている雙林寺山そのものを破壊することになりました。