メシある?
家族間メール
携帯電話は、老若男女になくてはならないものです。インターネットと電子メールは、日本社会に革命的な変動をもたらしました。それとカタカナ言葉の氾濫と。 「携帯電話は、今や電話というより、メールによるコミュニケーションのツールとして必須アイテムです」。どうして、そういう書き方をするのか、「メールを使う道具として必要不可欠なものです」となぜ書けないかと思いますが、日本語が解体されて、新陳代謝の時期を迎えている現実は無視できません。 これまで、手紙など書いたこともなかった人々が、メールには怒濤のように参入しました。面倒な決まり事や、自筆の煩わしさという制約が取り払われたからでしょう。しきたりや決まり事が日本文化じゃないかとつぶやいてみても、衆寡は敵せず。 あけおめ、KY、33414 105216(さみしいよ どこにいる)といったボーダレスの日本語?が画面に飛び交います。 要点のみといっても、かつては「一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ」というもので、最短でも一応の手順は踏んでいます。「メシある?」は、まさに実用一点張り。母親か妻に対するメールでしょうが、返事は、どういうものかなぁと思います。「メシある?」「ある」、「メシある?」「ない」ということかな。返事をもらった方の、次の行動も目に浮かぶようで可笑しい。 日本は、言霊(ことだま)の国でした。言葉には霊が宿ると信じられていたのです。だから不吉なことを口に出して言ってはいけないという文化がありましたし、忌み言葉というものもあった。今は、ウソもマコトも定かでない言葉たちが、電波に乗って、ネットや携帯の画面に登場しています。 「文章は、新しい所から腐る」と教えられました。チョベリグ(チョー、ベリーグッド)など、誰ももう恥ずかしくて使えないでしょう。逆に、古いものは、新しい。何百年という時を越えて、腐らないものだけが、新しいのだと思います。
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