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素晴らしき言葉たち(広報天台「天台ジャーナル」より抜粋)

 2008年05月07日(水)

メシある?

家族間メール



 携帯電話は、老若男女になくてはならないものです。インターネットと電子メールは、日本社会に革命的な変動をもたらしました。それとカタカナ言葉の氾濫と。
 「携帯電話は、今や電話というより、メールによるコミュニケーションのツールとして必須アイテムです」。どうして、そういう書き方をするのか、「メールを使う道具として必要不可欠なものです」となぜ書けないかと思いますが、日本語が解体されて、新陳代謝の時期を迎えている現実は無視できません。
 これまで、手紙など書いたこともなかった人々が、メールには怒濤のように参入しました。面倒な決まり事や、自筆の煩わしさという制約が取り払われたからでしょう。しきたりや決まり事が日本文化じゃないかとつぶやいてみても、衆寡は敵せず。
 あけおめ、KY、33414 105216(さみしいよ どこにいる)といったボーダレスの日本語?が画面に飛び交います。
 要点のみといっても、かつては「一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ」というもので、最短でも一応の手順は踏んでいます。「メシある?」は、まさに実用一点張り。母親か妻に対するメールでしょうが、返事は、どういうものかなぁと思います。「メシある?」「ある」、「メシある?」「ない」ということかな。返事をもらった方の、次の行動も目に浮かぶようで可笑しい。
 日本は、言霊(ことだま)の国でした。言葉には霊が宿ると信じられていたのです。だから不吉なことを口に出して言ってはいけないという文化がありましたし、忌み言葉というものもあった。今は、ウソもマコトも定かでない言葉たちが、電波に乗って、ネットや携帯の画面に登場しています。
 「文章は、新しい所から腐る」と教えられました。チョベリグ(チョー、ベリーグッド)など、誰ももう恥ずかしくて使えないでしょう。逆に、古いものは、新しい。何百年という時を越えて、腐らないものだけが、新しいのだと思います。

 2008年04月07日(月)

だが子供のぼくは、そういうものを火に焼いて喰う父を、どうかしていると思う気持ちがつよく、貧乏人の子のくせに、はずかしいことのように思ったのを偽れない。

 水上勉 「土を喰ふ日々」文化出版局


 「そういうもの」というのは、山の中に芽吹いている山菜のことです。水上さんの父は大工でしたが、時に木挽きの手伝いで山に入ることがあり、幼い水上さんもついて行ったのです。
 電動ノコギリなどのない時代でしたから、木挽きは大木に、かまぼこ形の巨大なノコギリをあてて、ゆっくりと挽くのです。重労働です。
 昼時になると、父は三十分ほど山の中へと入っていって、山菜やキノコをとってきて、おき火を寄せて焼いて食べたといいます。
 父の弁当箱には、味噌と塩と飯が入っており、それらを惣菜にするのです。水上さんは、父が山ウドを器用に剥いて、味噌をつけて食べるのを見ています。
 タラの芽を、ぬれ紙に包んでよく焼き、ご飯の上においたものは、ほこほこと湯気がでていました。
 添加物や農薬に汚染された食物を日々口にしている私たちにしてみれば「何と素晴らしいおかずだろう」というでしょうが、それは豊かになった今の人の勝手な感想です。
 水上さんは、他の木挽きたちが、鮭や鰯や金のかかる菜を入れてきているのに「父だけが、うどに味噌をつけたり、木の芽を蒸して喰う姿」を子供心に「哀れに思った」といいます。
水上さんは「その気持ちは今もある。不思議なことだ」と書いています。
 その思いは、幼い頃、貧であった境遇によるものです。土の幸を軽んじて、都会の人工的な食べ物に憧れることを「豊か」だと感じる気持ちが今もあることを「不思議だ」というのです。その心の裏側には、父にせめて他の木挽きたちと同じように、魚のついた弁当を食べてもらいたかったという思いが強く感じられて胸打たれるのです。

 2008年03月04日(火)

明日出る月は、
 今夜の月ではありません。
 今夜の月は、
 今日しかみられないのです

早川一光 「大養生の作法」角川ワンテーマ21


 早川さんは、ボケ老人問題を提起し「自分の体は自分で守る『自立・自主』」「自分たちのくらしは、自分たちで守る『自衛・共生』」を理念として活動されている京都の医師です。
 病院に来る人を待っているのではなく、来ることのできない人々を往診することこそ医者の使命と思っておられて、自ら「わらじ医者」と名のっておられます。
 早川さんは、いわゆる「ボケやすい人」として自己中心の人、頑なな人をあげています。それは心が筋張っていて、人のことを考えないからだと指摘されています。また人間の肉体が衰えてくると、心も柔軟性を失って固くなってくるからだともいわれます。
 逆に「ボケにくい人」というのは、感謝の心を持った人だというのです。人から何かをしてもらった時に「ありがとう」「お陰様で」といえるのは、長い年月を自分ひとりではなく、多くの人々に助けられて生きてきたという実感があっての言葉です。「お陰」というものは目には見えません。陰に隠れて見えないものに守られて生かされているということを信ずる心は柔軟です。早川さんは「目に見えず、陰に隠れたものがわかるのは人間だけなんです」と言われています。
 もうひとつ大事なことは「いつまでも、感動を覚える瑞々しい心」だといわれます。
 毎日、月を見ていても「明日も、月は出るわいな」ではいけないのです。一期一会というのは何も人間同士の出逢いばかりではない。今日の月との出逢いだって一期一会です。自分がこの世に生まれてきて、今日の月に会うのです。その喜びを感じる心、生きていてよかったと感じる心が老化を防ぐのだといわれます。

 2008年02月04日(月)

とにかく、やってみなはれ。
 やる前から諦める奴は
 一番つまらん人間だ。

西堀榮三郎


 昭和三十二年一月二十九日に、初めて日本観測隊が南極に上陸を果たしました。日章旗があがった昭和基地で、越冬隊長を務めたのが西堀榮三郎さんでした。五十三歳でした。
 南極は、当時未知の白い大陸で、日本は経験も資材も不足しており、政府は「いきなり越冬は無理」との見解でしたが「南極へ行く意義は越冬にある」と主張したのが、西堀さんでした。
 三日三晩吹き荒れた風速五十メートルのブリザードで、観測小屋を吹き飛ばされ、氷が割れて食料の三分の二を失った時も、西堀さんはアザラシを撃って食料を確保し、科学観測を断行しました。
 観測用の小屋が火事で焼失したときも「火事ぐらいでくじけるな。失敗したら、またやりなおせばいい」と隊員を励ましました。
 煙草の空き缶で、雪の結晶を観測する器具を作った西堀さんに、隊員達は「そんなもので、観測ができますか」と尋ねます。
 「やる前から駄目だと諦める奴は、一番つまらん人間だ。自分を蔑むな、落ちこぼれほど強いんだ。まず、やってみなはれ」。
 その言葉に発奮した隊員達の観測結果は、世界を驚かせるもので、日本人の底力を示したのです。
 西堀さんは「人間も含め、森羅万象みな大自然や。それを知るのが科学で、知りすぎることはない。そこで得た知識をどう使うかが技術で、技術者には人倫がなければあかん」とも言っています。人倫とは人として正しい道のことです。
 お釈迦さまは「好ましい言葉のみを語れ。その言葉は人々に歓び迎えられる」(ウダーナヴァルガ)と教えられています。

 2008年01月07日(月)

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

「最後だとわかっていたなら」ノーマ・コーネット・マレック 訳 佐川睦(サンクチュアリ出版)


 この詩は、2001年9月11日の同時多発テロの時に、チェーンメールによって全世界に広がりました。最初はテロの救出作業で亡くなった若い消防士が書き残したものだと紹介されていましたが、のちにノーマさんが亡くなったわが子を偲んで書いたものと分かりました。
 亡くなった子どもに伝えたかったけれど、伝えきれなかった言葉を彼女は書きつづりました。それは、自分自身を癒す作業でもあったでしょうし、同じような辛い体験をした人々を慰めることでもあったでしょう。
 私たちは、今日の次には明日が来ると思っています。しかし、そうでない人もあります。「私たちは、忘れないようにしたい。若い人にも、年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを。愛する人を抱きしめられるのは、今日が最後になるかもしれないことを」と詩は続いています。
 この詩に共感した人が、9・11テロで亡くなった人々を偲び平和を訴えるために配信したところ、あっという間に世界に広がっていったのです。
 ノーマさんは、自分の詩が、いわば無断掲載され作者も違う形で伝えられていることを知っていましたが、自分の言葉が、平和に利用されていることを誇りに思っていたようです。
 アッシジの聖フランシスコは「私を平和のためにお使い下さい」と言いましたが、そんな心境だったのかも知れません。
 仏教では諸行無常といいますが、それは今日を精一杯生きる生き方につながります。たとえ、明日、自分がいないとしても、後悔しないように生きるためにはどうすべきかを考えていきたいと思います。

 2007年12月04日(火)

すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣(ようけつ)である。
 これができれば俯仰天地(ふぎょうてんち)に愧(は)ずるなき料理人であり、
 これ以上はないと言える。

北大路魯山人著/「魯山人味道」(中公文庫 )


 書をよくし、画にも、陶器作りにも打ち込む、多芸多才の芸術家であった北大路魯山人。でも何よりも知られているのは、生涯にわたり「美味」を追求したことです。
 家が貧しく、幼い時に養子に出され、丁稚奉公したりと辛酸をなめた少年時代を送っています。
 しかし、その頃から既に、「美味しいもの」を追い求める飽くなき執念は始まっており、一生続きました。
 頑固で、他と妥協しない性格でしたから、魯山人に対する世間の評価は毀誉(きよ)半ばします。
 「芸術に位階勲章は要らない」と人間国宝の指定も拒否しています。
 生まれて間もなく里子にだされたり、養子としてたらい回しにされたりしたことが、このような、頑な性格を生み出したのかも知れません。
 そんな魯山人ですが、この言葉は、すとん、と腑に落ちます。料理の真髄ここにあり、ということが良く分かります。
 まず料理は良い素材。そして本来の持ち味をこわさないこと。何か、魯山人自身が歩んだ人生とは正反対の感じがします。しかし、そんな艱難辛苦(かんなんしんく)の人生から抽出したような印象が、この言葉にあります。
 この言葉は、よく考えると、近頃の子育てや教育にも通用する言葉のようですね。
 「素材」である子どもの個性をじっくりと見極めることなく、早い時期からいろいろな稽古事に行かせたり、競争心を煽る英才教育の場に投げ込んだり、「料理人」としてどうかな、と思う親がいます。
 一人ひとりの本来の良さを伸ばし、育むことの大切さを、この言葉は教えているかのようです。

 2007年11月11日(日)

逆に聞きたいんだけどさ。どこを意図してんのかね、マスコミは?お金持ってるのが勝ち組で、持ってなくてピーピー言ってんのが負け組なの?

矢沢永吉「反セレブ宣言」


 お釈迦様が入滅される時、弟子たちが、「お釈迦様が亡くなられたら、私たちは何を拠り所として生きていったらいいのですか」と問いかけられました。
 お釈迦様は「自らを灯として生きなさい。法を灯として生きていきなさい」と教えられました。これは「自灯明法灯明」といって、お釈迦様の最後の教えになったといわれています。
 日本人は、この「自らを灯として生きる」という生き方が苦手のようです。常に他人の目を意識し、他人と比較しながら生きているようにみえます。これでは「他灯明」になってしまいます。
 背筋をピンと伸ばして、自信をもって生きたいと思います。
 どんなことをしても、お金を持てば「勝ち」で、「己を忘れて他を利する」生き方をしてもお金がなければ「負け」なんて、そんな馬鹿なことはありません。
 せめて、自分が幸せかどうかなんて、人様に決めてもらうのではなく、自分で決めなくてはおかしい。
 お釈迦様も伝教大師も「資産」など持っておられませんでした。「捨てる」ことこそ、大事だと教えられたのです。
 「評価」に右往左往し、お金の多寡で仕事を選ぶ人々をみると、まことに愚かな人だと思います。 
 もし、仮に勝ち負けというものがあるのなら、それは、その人が幸福であったかどうかでしょう。
 「ボロ軽トラしかないが、これから嫁と子どもを乗せて、夕食に行ってくる」と言った人がいます。一日の仕事を終え、今日はちょっと奮発して家族揃って外食に行こう!という幸せそうな情景が目に浮かびます。たとえお金が無くとも、彼こそ、勝ち組ではないかと思うのですが?
 少なくともブランドスーツに高級外車より、カッコいいではありませんか。

 2007年10月02日(火)

日本人のつき合いのこつはすべて他人と自己との間に厳しく、しかも美しい線を引くことにあるといえるかもしれない。

【梅原猛著/「日本の霊性」新潮文庫 】


 定年退職後、海外に移住する人びとが増えています。
 その理由について移住者が「日本にいれば、つき合いが煩わしいから」と語っていました。
 日本は、村社会ですから、冠婚葬祭はもちろん、普段の生活でも、かなり濃厚な「おつき合い」をします。それが、地域の安定と安心につながっていたともいえるでしょう。 
 しかし、最近、都会ではそうでもなくなってきました。町内会に入らない人も多いと聞きますし「自分は、自分」という考えの人が増えています。
 けれど、濃厚なおつき合いといっても、それは腹の底までさらけ出すといったものではなく、越えてはならない明確な一線が引かれています。
 その一線が「厳しく」「美しく」引かれているのが、日本人であり日本の文化であるように思います。
 梅原先生は、日本画家の小林古径が描いた絵の線の希に見る美しさについて語ったあと、冒頭の言葉を付け加えられます。
 古径は、孤独な少年時代を送った人ですから「他人との間に厳しく線を引き、しかもその線は美しくなければならない」という美学を持っていたようです。
 他人の生活に土足で踏み込んできたり、自分勝手な理屈を押しつけたりするのは、この一線が「崩れて」「汚らしい」ものになっているのです。
 私とあなたの間なら、何を言っても、しても許されるというのは甘えです。こういう言動をとる人は、いつの間にか、おつき合いのラチ外へと放り出されてしまいます。
 「親しき仲にも礼儀あり」というのが日本人の「一線」でしょう。
 お寺の山門や入り口などに「不許葷酒入山門」(生臭いものを食べ、酒気を帯びた者は、寺の境内に入ってはならない)とあるのは、厳しくも美しい一線の一例です。

 2007年09月03日(月)

一粒の卵のような 一日を
わがふところに 温めている

山崎方代    


 山崎方代は「漂泊の歌人」、あるいは「昭和の山頭火」と呼ばれています。
方代は本名で、八人兄弟の末っ子として生まれましたが、彼が生まれたときに生きていたのは、長女と五女だけで、両親は「生き放題、死に放題でいい」というので、こう名づけたといいます。
 太平洋戦争で右眼を失明し、左眼の視力もほとんどなくなり、姉の世話になり、街頭で靴の修理などをしながら各地を旅した人です。種田山頭火と同じ自由律の名歌をいくつも残しました。
自らを「無用の人」といい、世間から離れるように暮らしていた方代は、生涯独身の孤独な生活をおくりました。方代の歌はわかりやすく、難解なところは少しもありません。
 「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る」という歌は、過剰包装の見直しや、レジ袋削減といった昨今の風潮からみれば、あらまほしい風景かもしれませんが、単に豆腐を入れる鍋がないという貧乏くさいものです。しかし、方代の「豆腐を買ったぞ」という嬉しさがひしひしと伝わってきて、こちらもつい嬉しくなってしまいます。
 表題の歌は、大切な一日を、この時代にまだ貴重品だった卵のようにして、自分のふところに大事に、大事に温めているというのです。時間は、誰にも等しくあります。それを忙しく使うか、ゆっくりと過ごすかは、その人次第です。けれども、ある程度生きて自分の人生を振り返るとき、懐かしく思い出すのは、ゆっくりと過ごした時のことばかりです。こう思うと、方代は孤独ではありましたが、不幸せではなかったように思います。
 「一粒の卵のように大事な一日」をどれだけ持てるか、その時間を自分のふところでじっくりと温めることができるかどうかが、豊かさの基準のように思います。

 2007年08月01日(水)

私はとっても勉強ができない。私はいつもいつも、私はバカだと思ってしまう。勉強も運動もならいごとも何のとりえもない私がだんだん情けなくなった。(中略)分かっているんだけどどうしても手があげられない。自信がないからだ。こんな、何もできない私は、自分が憎い。

金森俊郎著「いのちの教科書」(角川文庫)より


 金森先生は、日本で初めて小学校で「いのちの教育」を実践し、大きな注目を集めた教育者です。その活動は、NHKスペシャル(二〇〇三年)で放送され反響を呼びました。
 金森先生は、人間は世界にたった一人の個性的で奇跡的な存在であるという理由からいのちを学ぶ授業をしています。教師が教えるのではなく、死に直面し、生きることの意味をぎりぎり問うている人から直接、子ども達に語ってもらうという方式をとっています。
 自分のいのちを大切にして仲間と一緒にハッピーを創り、一緒に生きようぜ、という空間や関係を作ることがその根底にあります。
 金森先生は、子ども達に「死にたいと思ったことはあるか」と問いかけます。そのことについて愛弓という少女が冒頭の作文を書きました。このような本当の言葉が出るのは、教師と生徒との間に強い信頼関係があるからです。その信頼は一朝一夕にできたものではありません。
 この作文について子ども達は「気持ちはよくわかる。一緒に生きようぜ」と応じるのです。彼女は、勉強や運動や習い事ができないために家族から手ひどく扱われていたのです。彼女は、自分も頑張っている、そのことを皆に(社会に)分かって欲しいと言いたかったのです。金森先生は、自分への憎しみが溜まってくると、いつか他者への憎しみと暴力に転化すると分析しています。
 何かあれば「いのちは大切だ」と誰もがいいます。そんなことは、子ども達も分かっています。それでも追い込まれている内側の問題、それを理解するようにしなくては、問題は解決しないと思います。
 子どもが死にたいと思う理由で一番多かったのは「親に叱られたとき」でした。

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